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イスラエルの 「9.11」、血はまだ流れ、遺体はほとんど埋葬されていない [グローバル]

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イスラエル史上最大のテロ攻撃は、107日の早朝に始まりました。何千発ものロケット弾が発射され、多くの人々が防空サイレンで目を覚ましたときには、パラグライダーに乗った何十人ものハマスの工作員が出発していました。同時に、市民や兵士が避難シェルターに身を寄せていたとき、無人偵察機が監視装置や電波タワーを爆弾で破壊し、何千人ものテロリストが突撃してきていました。この事件が起きるまでの数カ月間、表向きは畑を耕すパレスチナの農民たちがイスラエルの要塞に関する情報を集めるという策略がありすでに動きは始まっていました。一見「平和的な」国境障壁の周辺で行われていたデモは、イスラエル側の反応時間と警戒心を試す役割を果たしていたのです。


 

この農民の多くがハマスの熟練工作員であったことが判明しています。国境障壁に穴を開け、他のメンバーを難なく流れ込ませることができたのです。主に、兵役で徴兵された若手女性で構成されるイスラエル側の監視チームは、十分な装備もなくで為されるがままになりました。国境を越えたところにある小さな前哨基地は、ガザ地区への主要な経由地でした。そこに居たのは人道物資のガザ地区への移送を調整する任務だけを持った兵士たちで、結果として集団射殺され、他の兵士たちはベッドで撃たれ、投降する機会すら与えられませんでした。女性中心の監視チームや歩兵が配置された国境沿いの他の基地は、襲撃され、即座に圧倒されてしまいました。配置されていた若い女性兵は撃たれ、レイプされ、拉致されたものもいます。戦闘部隊についても何千人もの自殺覚悟のテロリストに圧倒されてしまう結果となりました。ある不運な戦車乗組員は、ドローンが投下したサーモバリック爆弾に車両を貫通され、乗り込んできたテロリストに車両から投げ落とされました。至近距離から撃たれ一部兵士たちは、大歓声の中、無残な姿となりガザの街のパレードの見世物となっていました。

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同じ頃、数千人の参加者を集めた音楽フェスティバルが開催されていました。参加者はロケット弾から避難していたところ、すぐにテロリストが操縦するパラグライダーが降下してきため、無防備で不意打ちを食らっていました。フェスティバルの会場を封鎖し、南や北から移動してきたテロリストたちが、パーティー参加者を広範囲に虐殺し始めました。この残虐な行為により、合計で260体もの死体が発見されました。

ガザの周辺には、キブツやモシャブとして知られるイスラエルの集団農業コミュニティがあり、そこには何千人もの市民が住んでいました。コミュニティーの治安部隊が家を守るために駆けつけたものの、ほとんどの場合、玄関先で斬りつけられたようです。次に、家々が占拠され始め、しばしば人質目的で強制的に協力させられ、結果的に人質に取られた者もいれば、その後銃殺された人もいました。他には、防空壕に入り避難していたところ、手榴弾を投げ込まれた人もいました。生きたまま自宅ごと焼かれた人もいました。多くの家族がバラバラにされ、ある者は捕虜にされ、ある者は無残に殺され、またある者は自分たちのコミュニティが破壊される中、長時間隠れ続けました。

より広範な地政学的影響という点では、この残虐行為は、サウジアラビアとイスラエルの和平合意を棚上げにし、イランとシーア派の枢軸を強化したように捉えられています。


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